今年のつらさ①
4月、7月のジャパンエキスポに出品するものを”水のもの”に決めたので、以前甲殻類数種の特注のご依頼を受けた理研の広報の方に使用許可を取りたかったのですが、ちょうど「ありまーす!」会見の直前で、この騒動がいつ終わるのかやきもきしました。結局、騒動は収まらず、真っ只中にメールをして快く了承していただき、4月末の提出期限に間に合い7月に無事出展することが出来ました。
この方は、一昨年(2012年)はじめて個別に注文をしてくれた人でした。
甲殻類を数種類、額に納めて飾りたいという話で、期限も金額もこちらのやりやすいように、更にはグラバー図譜などの資料も教えて頂きました。
納品直前に私は病気を発症して入院したのですが、横浜研究所が免疫系の研究機関とのことで、よければ先生に見て頂こうかとか見舞いに伺えないかとまで言っていただきました。こちらは死にそうではあったけど、ある程度よくなりそうな気もしたので、いよいよのためにこの段では固辞しました。
退院してフラフラの中、鶴見の研究所に納めました。
対応もピカイチで血が通ったやりとりをしたと思ってたので、あの騒動はまったくの別ものに思えます。
ジャパンエキスポでは前年の8月に知り合った漆作家に仕立ててもらったものも出そうと考えていたけどダメになり関係自体もご破算になりました。
腕も確かで人としても立派だと思ったのですが、作らせておいて結果的に合わないからいらない、やりたくなくなったからやらない、意のままにならない私を棄てるといった感じだったのでしょうか。
そのような状況に置かれたら誰でもそうなるのかも知れませんが、故意にそちら側を向かせられた気配も多少感じるのは思い過ごしでしょうか。
いまだにとても好きな人ではありますが、サインの有無やコラボなど作家性を重きを置いた姿勢、発言と実情の矛盾を禁じ得ません。
これを期に見返すとメッセージは消さずに残っていて、辿ると痛々しくていまだにとてもやりきれないものがあります。
4月はさらにグループ展の入金の話がありました。
ムサビの通信過程の卒業生で集まって開催する予定だったグループ展で秋ぐらいに開催とのことで、ずっと出るか保留にしていたのですが、突然、「出るんだったら何時までに幾ら入金しなさい。」「仕事の合間を縫って忙しい中、皆で係を決めて取り組んでいるのに何もしないで金も払わないあなたは何様?」といった内容の連絡がきました。この関係のすべてが嫌になりました。
3月の終わり、主催者の一人で、よく気に掛けれくれた同じ金工出の親ほど年の離れた女性がプライベートギャラリーを開いたので、幾らか買い取りたいと言ってきたので見繕って送ったことがありました。
しばらくして「佐々木のは売れたけどあんたのはほとんど売れなかった。」と連絡がきました。売れないことより、転売してたこと、売り上げについての連絡だったことがショックでした。以前は本当によくしてくれたことを思うと人がかわったみたいでした。
売れないことに対する意識は、仮に売れなかったにしても趣味でやってる”佐々木”よりこのメッセージをくれた方より日々赤貧に喘ぐ私の方が間違えてたなりにもシビアなはずです。言う必要があったのでしょうか。
この件に関して、私は、グループ展は出ない、金は払う必要ない、ギャラリーで売れ残ったものの返品と返金、無断で宣伝していたムサビ通信のHP上での私の名前の掲載削除等の対応をしました。
こんなことがあったからなのかムサビ通信からは後日、機関誌の「卒業生の声」的なコラムの取材をされましたが、その後どうなったのか知りません。(これらに関しては通信教育過程でのことです。)
その後、グループ展はやったみたいです。
メンバーや卒業生の中には手作り市で顔を合わせる人も居て、芯からいがみ合ってる人など実は誰一人いないのでこちらはこちらで普段通りやって行こうと思っています。
4月はさらに抱える込むことが他にもあって、気がどうにかなりそうになっていました。
言いたくても言えない、言えてた人も人が変わってしまったような、もはや敵しかいないような状況でしたが、とあるたまご屋さんのイベントで主催側のよくしてくれる方に、帰りがけの数分、事情を少し話せたことで気が楽になりました。突然突拍子のないことを言ってわかってもらえたか疑問ではありますが、とても有り難かったです。
こんな惨状ももうすぐ終わると思いきや、入れ替わり様々なことが起こったのであります。
(…つづくのか)
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